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リチャード・ブローディガン『サン・ディエゴから来た四十八歳のこそ泥』について/ブロッコリーに似たもの

1、詩が時代と社会、そして、そこに生きる人間の生きた声たるべきであるという新時代の文学観は、一方で詩を政治的抵抗の手段へと変化させながら、もう一方で「時代に適した詩的技巧の探求」を詩人たちに課したのである。
                          (前田君江)

 夢と夢と隙間に潜り込み、ベットから抜け出すと、私は現実に直面する。水道料金を支払うお金が無く、このままでは月末に供給が停止されてしまう事。給料の大半を雨の日のダートレース(阪神7R)、11番人気の青鹿毛の騸馬に単勝一点張りしてスってしまった事(ハナ差の二着)。祖父の葬式に出る為に地元に帰ると、祖母は惚けてしまっていて、私の事が思い出せない事(名前は覚えていた)。それらは変えようの無い事実であり、そういった物事の断片が私の冴えない生活を物語っていて、歯を磨く為に覗く、洗面台の鏡に映る顔はサン・ディエゴから来た四十八歳のこそ泥に似ているのだろう。きっと。日夜、思い浮かべる、猥雑な夢よりはずっと。


2、ものを書くことは「生きるという病」に対する治癒なのだ。
                 (シャーウッド・アンダーソン)

 私達の脳の中にミラー・ニューロンというものが本当に存在し、機能しているのならば、読む事と書く事の間、想像する事とそれを実際に行なう事の間にはそれほど大きな差は無いのかもしれない。だとしたら、「君の頬に触れる」と書く事と実際に君の頬に触れる事をイコールで繋いでしまい、美しく揺るぎない数式の数々が私達の暮らすこの社会にも存在しているという妄言も、勤勉でタフな労働者のように、殺された家畜達が無造作に運ばれてくるベルトコンベアの上のような世界でも通用するのかもしれない。しかしまあ、労働者階級の英雄になるのも大変な事ではあるが。
 テーブルの脇に置いてあるライターを取って、煙草に火をつけ、ヘンリー・ダーガーという人のことを思い浮かべてみる。彼は十九歳の頃に『非現実の王国で』という作品の執筆を始め、歳を取って働けなくなり、部屋を追い出されて施設に入るまでの間、それを誰に見せることもなく、ずっと書き続けた。六十年間。彼は貧困や孤独の中で書き続けた。何の為に? 蛍光灯の光は弱まり、それでも新しいものに取り替える気はなく、灰色の壁はところどころ剥げてきていて、床には大量のゴミが捨てられることのないまま、散らばっている。どこかで拾ってきたかのような木製の机がそんな薄暗い部屋の片隅に置いてあり、その上に古いタイプライター。カタカタ、と音を出しながら、丸まった背中の男が無精髭を擦りながら、言葉を一つ、また一つと、積み重ねるように打ち続けるという反復行為。それは祈りに似ていたのかもしれない。敬虔な宗教家が毎日、神に祈りを捧げるように、彼は書き続けたのかもしれない。
 ロベルト・バッジョというイタリアのサッカー選手が私の子供の頃の英雄だった。94年のW杯、ナイジェリア戦とスペイン戦のゴール。それからブルガリアとの準決勝でも2ゴール。決勝でのPK、力なく虚空へと飛んでいくサッカーボール。成功と失敗。この大会の主人公は彼で、中学校に上がったばかりの私は、ようやく与えられた一人部屋に引きこもり、テレビにかじりついていた。
 彼のサッカー人生は怪我との戦いだった。十代の頃に右膝の十字靭帯をやって以来、何度も大怪我をした。手術の度にもう終わりだろうと思われたが、彼はそんな悲観的な大衆を裏切るように、復活しては飄々とポニーテールをなびかせながら美しいプレーを魅せ続けた。中国の古いカンフー映画に出てくるゾンビのように。いや、不死鳥のように。
 そんな話を度々していると、会社の上司に創価学会の集まりに連れて行かされた。私の英雄は創価学会の熱心な信者だったのだ。しかし、それは別にどうでもいい事だ。私は上司に面白い集まりがあるからと言われて、最寄り駅まで間の電車賃をもらい、昼食まで奢ってもらった。私も若かったのだ。会館の大部屋には巨大な仏像が置かれていて、その前で何人かの演者が、学会に入っておかげでいかに自分は救われたかという物神崇拝的成功体験を語っていた。私は可愛い子でも居ないかと、辺りを見回していたが、男ばかりで、女性は少なかった。私は若かったのだ。話が終わった後、私は熱心な勧誘を軽量級のボクサーのようにヒョイっと躱し、夕食にとんこつラーメンを奢ってもらい、帰路に着いた。
        
       
3、問題とはつまり、作家はどうやってうまく、ひとつの形式(たとえば短編)のなかに、知ってる限りの他の形式を組み込むことができるか、である。私の作品がしばしば充分に輝きを持ち得なかったのは、この組み込みに失敗したからである。たしかに気迫はあるのだが、そのとき取り組んでいる形式の技法ばかりにとらわれ、せっかく知っている他の形式(映画の脚本、戯曲、ルポルタージュ、詩、短編、中編、長編から学んだすべて)を使いこなしていないからだ。作家は、自分のすべての色、同じパレットの上で混ぜ合わせることのできるすべての能力を持つべきなのだ(そして、いくつもの能力をここという場所で同時に使いこなさなければならない)。しかし、どうやって?
                   (トールマン・カポーティ)

男 「ぼくは海で生まれたんだ」
女 「いや、あなたは病院のベットで生まれたわ」
男 「記憶の話だよ。ぼくの人生最初の記憶。浜辺を女の人、きっと母で、一緒に手を繋ぎ歩いているんだ。強い風が吹いて、彼女の着た白いワンピースは揺れ、被っていた鍔の広い帽子は彼女の頭を離れて、風に乗り、海に落ちていく。誰の手にも届かない波の上に」
女 「で?」
男 「海で始まったからには海で終わりたい」
女 「いや、あなたは布団の中で死ぬわ。老衰で」
男 「一緒に夜の海で死なないか? ブローティガンのように酔っぱらって自分のこめかみを打ち抜いてしまう前に。太宰治のように」
女 「嫌よ」
男 「ぼくは年老いたカモメだ」
女 「                」


4、
少女「学校は行った?」
男 「誰が?」
少女「その詩人よ」
男 「たとえ、詩というのは勉強しなくても書けるんだ。君だって、書けるよ」
男 「牛乳代は?」
少女「いらないわ」
       (アッバス・キアロスアミ『そして、人生はつづく』)

 道ばたに落ちていた片方だけの靴下をコートのポケットに入れ、家に持って帰り、箪笥の中に埋もれている似た柄のものと合わせて使う。そのせいで私の足取りは右と左で違う場所へと進んでいく。右の私は白い部屋に住んでいて、女子高生の短いスカートのようなカーテンを開けると、窓から見える景色はディエゴ・ロドリゲス・デ・シルバ・イ・ベラスケスの絵画で、海が描かれており、その事に気付くと波の音も聴こえてくる。沈黙の音符が並べられた空には男の子と女の子が二人、縦並びで、カモメのように翼をはためかせている。部屋のドアが開き、白い女性が入ってくる。手にトレーを持っていて、その上にはコーヒーの入ったマグカップふたつ。それを背の低い小さなテーブルに置く。私がベットから出ようとすると、「いいわよ、そのままで」と言う。優しいのだ。マグカップをひとつ手に取り、ベットまで持ってくる。「ありがとう」と私は答えて、彼女の指からマグカップの、その取手を抜き取り、コーヒーを口の中へ入れる。熱く、少し苦い。ミルクが足りてないのだと思うけれど、言わなかった。「調子はどう?」と彼女。「良いよ。いつも通り」と私。彼女はテーブル近くのソファに座って、トレーの上に残ったもうひとつのマグカップを取り、飲む。苦そうな顔はしない。平気なんだろうか。「ねぇ、マリアンヌ」と私は白い服の女性に話しかける。「ねぇ、カリフラワー。わたしはマリアンヌじゃないわ」と彼女。「ぼくもカリフラワーじゃない」と私は返す。「あら、昨日まではカリフラワーだったじゃない?」「昨日の事はよく知らないけど、ぼくはカリフラワーじゃない」「じゃあ、誰なの?」私は本当の名前を彼女に打ち明ける。
「人生が物語と違うのは悲しいわ。同じだといいのに。明快で論理的で整っていてほしい。でも違うわ」とマリアンヌ。「いや、意外に違わないものさ」とフェルディナン。「この愛は明日のない、ただの愛」「そいつは死ぬ時に分かる。一生、愛したかどうかは」
 左の私は砂浜に居る。一人で。シビルは居ないが、それでもバナナフィッシュにうってつけの日ではある。海から拒絶された流木の上に座り、煙草を吸う。夜空には星座図のように沢山の星々が浮かんでいて、それぞれの星が互いに手を繋ぎ合うように光線を出し合っている。私は子供の頃、祖父に連れられ初日の出を観に行った事を思い出す。家を出るのはまだ年が明けたばかりの時間で、眠い目を擦りながら頭上を見ると、夜空は大仰なフィクションで、きっと私は寝ぼけていたのだろう。夢は真実ではない。歩く。冬の黒い海は雪見だいふくのように冷たい。引き返す。私は書く事で時間は歪ませ、過去に右手の爪先でそっと引っ掻き傷をつける。朝食にはトーストとサラダを食べ、牛乳をコップ一杯飲もうと思っている。そう決めた。それが唯一の真実で、つまり、そう。サン・ディエゴから来た四十八歳のこそ泥について何も書くことが出来ないままに、彼も次の誕生日には四十九歳になっているはずで、私も六月末には二十二歳になっているはずなのである。


◯人間は━━企業経営者も、芸術家も、政治家も━━今や自分の活動自体よりもそれを論評することの方に時間とエネルギーを傾けているらしく思える。
               (ジャン=フィリップ・トゥーサン)
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