FC2ブログ

限界暗号/れたすたれす

彼はひたすらに限界を、その挫折を暗号で綴ることに気がつけば、
あるいは自殺、死から逃れることができたのかも知れない。

罪の限界、罰の限界、法の限界、知の限界、血の限界、暴力の限界、
肉体の限界、自己の限界、畏怖の限界、世界の限界、歴史の限界、
愛の限界、性の限界、神の限界、自由の限界、存在 …限界の限界…

ハイデガーのすべての問いの中の問いの限界
「なぜ一体、存在者があるのか、そして、むしろ無があるのではないのか?」

知られるかぎりのあらゆる事象を、無制約的な存在にゆだねることが、
可能であったのならば、有限的現象でしかない自己の置かれている、
絶望的な状況を自己の言葉で記述することによって、
その記述の限界から、通告<去れて来る>【秘密の暗号】を知る事が、
或いは、可能であったのかも知れない。








資料1
ウィキペディアより

精神医学から哲学に転じたヤスパースは1921年から1937年まで同大学哲学教授を務める。この時代にハンナ・アーレントも彼の教えを受けた。ナチス台頭後、妻のゲルトルートがユダヤ人であったことやナチスに対する反抗で大学を追われたものの、妻の強制収容所送致については自宅に2人で立て籠もり、阻止し通す。大戦も末期の頃、ヤスパース夫妻の収容所移送が決定されもはや自殺する以外に打つ手がなくなるところまで追い詰められたが、その移送予定日も残すところ数十日程度に迫った、1945年3月30日にアメリカ軍(アメリカ陸軍第7軍第3歩兵師団)が、彼の住むハイデルベルクを占領したため、移送を免れた。後年自ら「自国の政府により殺される寸前、敵国の軍隊により命を救われた」と述懐しており、この戦争体験は彼の哲学に対して見逃すことのできない強い影響を与えたと言われている。ちなみに現在もハイデルベルクにはアメリカ陸軍第7軍の司令部がおかれている。戦後、ハイデルベルク大学の復興に尽力するも、ドイツの戦争責任問題について執筆した『責罪論』を巡って周囲から心ない非難を浴びせられたため、ドイツの将来に失望して、1948年にスイスのバーゼル大学の哲学教授となった。ドイツに対する裏切り者呼ばわりされ、彼は深く傷ついたという。

カール・ヤスパース(独: Karl Theodor Jaspers、1883年2月23日 オルデンブルク、ドイツ - 1969年2月26日 バーゼル、スイス)は、ドイツの精神科医、哲学者。実存主義の代表者の1人。哲学、現代神学、精神医学に強い影響を与えた。主著は『精神病理学総論』(1913年)、『哲学』(1932年)など。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%A4%E3%82%B9%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%B9



資料2
ウィキペディアより

「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?」(なぜなにもないのではなく、なにかがあるのか、英語:Why is there something rather than nothing?)[注釈 1]は哲学の一分野である形而上学の領域で議論される有名な問題の一つ。神学や宗教哲学、また宇宙論の領域などでも議論される。なぜ「無」ではなく、「何かが存在する」のか、その理由、根拠を問う問題。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AA%E3%81%9C%E4%BD%95%E3%82%82%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%AE%E3%81%A7%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%8F%E3%80%81%E4%BD%95%E3%81%8B%E3%81%8C%E3%81%82%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%81%8B
スポンサーサイト



コメントの投稿

非公開コメント

menu
最新コメント
最新トラックバック
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
RSSリンクの表示
QRコード
QR